• しょうざんイメージ
  • しょうざんイメージ
  • しょうざんイメージ
  • しょうざんイメージ
  • しょうざんイメージ
  • しょうざんイメージ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6

芸術を愛する心は、美しい環境から生まれる

「美しい着物を造るには美しい環境で」 その思いが、ここ鷹ケ峯に、山紫水明の仙境を誕生させた

創始者・松山政雄

大文字山の麓、金閣寺に隣接する景勝の地。前方には鷹ケ峯、広大な敷地の中央には、その昔タスキ掛けの職人が紙を漉いたという「紙屋川」の渓流。この洛北に日本の「庭園美」そして「建築美」を集めた「しょうざん」の建設は、昭和26年にさかのぼる。 ここは、西陣に生まれ、戦後いちはやくウールお召しを開発して世に広めた創設者、故・松山政雄が思い描いた「花と緑の観光工場」。 京の山々を借景に、さらに手をほどこした三万五千坪の庭園。またそこに、戦後消失の運命にあった美しい日本の建造物を移築し、広く万人におとずれてもらい公開を始めたのが「しょうざん」の始まり。 広く着物への理解を深めようと進めた「花と緑の観光工場」建設の源となっているのは、「長い歴史と伝統を誇る西陣の織物は美の極地だが、そのような美しい着尺の色や柄は、美しい環境から生まれる」という、創設者の人間哲学。 四季折々に表情を変える庭園に、点在する日本の粋を集めた茶屋や屋敷。京ならではの「美食」の愉しみから、京の伝統に触れる染色体験、水のせせらぎに憩う溪涼床、どうかごゆるりと、京都ならではの風雅をお楽しみください。

江戸初期より、この地に「工芸村」を築いた本阿弥光悦。 優れた芸術家を魅了した洛北・鷹ケ峯。

京都に生まれ、特に書の世界では「寛永の三筆」のひとりとして、光悦流の祖となった本阿弥光悦。書家のみならず、その卓越した才能は工芸家、画家、作庭師、能面打ちと、様々な分野で開花し、その活動が日本文化に与えた影響は計り知れないと言われる。 その光悦が、徳川家康から与えられたのが、ここ京都の洛北・鷹ケ峯の九万坪の土地。光悦は俗世や権力から離れ、以後に二十年あまりこの地で創作三昧の日々を過ごす。 光悦の呼びかけに応じて、多くの金工、陶工、蒔絵師、画家、そして創作活動を支える筆屋、紙屋、織物屋が集まり住んだといわれる「光悦村」。また風流をたしなむ豪商も住み、村には多くの家屋敷があったとされる。「しょうざん」に隣接する「光悦寺」は、芸術村にあった光悦の屋敷跡。 江戸時代より、芸術家や風流人が集うこの地の空気は、「着物」という日本文化を発端に築き上げられた庭園とそこに点在する数々の施設の趣と融合し、訪れる人を奥行きのある美しさで包み込む。広大な庭園を流れる風のそよぎは、いにしえより続く日本の文化の香りを運んでくる。

  • 風雅な「京」のリゾート
  • しょうざん魅力